ウーロン島
ロックアイランド 世界遺産エリア1783年7月9日、パラオが西洋文明社会と初めて接したのがここウーロン島です。石碑にその歴史が残されています。
イギリス東インド会社の船「アンテロープ号」が嵐に巻き込まれて難破漂流の後、流れ着いたのが西側に横長の美しいビーチを持つウーロン島です。 アンテロープ号のウイルソン船長は南の酋長アイビドールの助けを受け、新しい船を建造して英国に戻りました。 当時の英国は世界をまたにかけて植民地を経営していた時代、パラオはこの時に英国を始めとする西洋文明社会の知るところとなったのです。 ウイルソン船長は、大酋長の息子を英国で学ばせるためロンドンに連れ帰りましたが、息子は病に倒れ英国で亡くなりました。 当時のパラオは戦国時代で一つの国としてまとまっていたわけでは無く各部族が群雄割拠して互いに武力を持って覇権を争っていた時代です。英国の支援を受けた酋長アイビドールがその後大きな力を持ったことは歴史が物語っています。 今のウーロン島は小屋、トイレがありウーロンチャネルやシアスコーナーを潜ったダイバーがランチを取るために訪れたり、カヤックツアーで廻ったりできる島になっています。 南側は上陸できる場所はありませんが、透明度が高く素晴らしい光景が広がっています。 コロール市内のエピソンミュージアムには、ロンドンで亡くなった酋長の息子の写真などの資料が展示されています。
「ウーロン島」関連のオプショナルツアー
ナイスデイツアーでパラオ旅行にご参加のお客様には、お得な料金でオプショナルツアーをアレンジします。ナイスデイツアーにおまかせください。